私は下郡紀生先生(以下、下郡先生)から、いろいろなことを学んだが、特に気に入っている言葉がある。「受験英語は子供を脅して教えているようなもんだ」──。つまり、試験に出るからこれを覚えておけ、というスタンスが「使える英語」「意思伝達のツールとしての英語」を学ぶ足かせとなっている。初めて先生に会ったとき、先生は中学2年生のクラスで使用している「Unexpected kindness」と「School uniform」というスピーチ教材を私に見せ、こう言った。「これだけ覚えれば話せるようになる」つまり、子供が使うことを前提として英語を教えているのだ。
大分大学教育学部附属中学校で英語を教えていた創始者・下郡紀生は教育現場で、「平等」という言葉に疑問を覚えていた。平等の名の下で、成績下位の者を常に考慮に入れるのはいいが、それにより成績上位者が、より高い内容を学ぶ機会を逸している状況はどうすればいいのか──。制約の多い学校現場を脱し、自分で学校を作りたいと考え、1975年に下郡英会話学院を立ち上げた。現在の生野学院(料理と洋裁の学校)ビルが建つ以前のことで、当時は生野学院の洋裁教室で使われていたマネキンがある教室を間借りして、授業が行われた。
学院の柱は中学1年生から高校1年生。4年間で英語の基本を身につけ、大分から出た彼らが東京や大阪に行っても、英語で引けを取らないようにという創始者の思いがある。当時は毎日ラジオから流れてくるNHK基礎英語が主要教材だった。特に、中学1年生は「基礎英語」のみを勉強した。ラジオを毎日聴き、一週間分の英会話をすべて(音声と文字の両方)覚えてくることが授業参加への条件である。毎回授業の初めにテストがある。会話の中から5つの文が選ばれ、日本語を英文にするテストだ。覚えてきた生徒しかできない。遅れてきた生徒はテストを受けられなかった。
下郡先生の授業が始まる。通常一クラス34から35人。大人数のクラスだが、その週の内容についての基本的事項の説明とまとめが行われる。約70分間の授業。説明とまとめとはいえ、実は、生徒が家でどれだけ勉強してきたかがその授業で露呈する。勉強してきた生徒は教師の発問の意図がわかり、得意気に。勉強の足りない生徒はいつ当てられるかとドキドキだ。
70分間休憩なし。通常の中学校は1時間の授業が50分。4月、5月の頃は、集中力が70分持たない生徒もいる。が、そのような生徒に邪魔をされることもない。次第に70分が普通になる。教える側も気を抜けない。生徒に背を向ける時間は極力短く、しかし、板書はきちんとする。チョークの色の使い分けをし、要点をしっかり把握させる。後で復習できるようにするためだ。板書した英文を生徒に、正しい発音で、大きい声で繰り返させる。頭と手と、口を使って文法事項の徹底理解を図る。褒める言葉も忘れない。
教室後方では他の講師が下郡先生の授業を見る。発問の内容、指名された生徒の名前、発問に対する生徒の答えを細かくノートにとる。毎日が教育実習の日々だ。見せる方も、見る方も必死だ。現学院長の佐藤裕之の当時のメモが今も残っている。